ごあいさつ
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弊社は明治33年(西暦1900年)の創業以来、菰樽の部材である菰縄を作り続けている会社です。
創業当初から、日本酒の蔵元様を得意先として菰樽を提供しておりました。
菰樽や鏡開きは、日本の方をはじめとして各国の方々に知っていただきたい日本の伝統文化です。
「めでたいな.com」は、そんな日本のお喜び文化をもっと身近に感じてもらいたいという想いで立ち上げました。
数少ない菰樽の製造元として、我々が伝え守っていかなければ残らない未来があると思っています。
「お宅があったから、菰樽の文化が残った。」
そう言っていただけるように、これからも一つ一つ丁寧に作り続けていきたいと考えています。
菰樽のはじまり
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「菰樽」
もうこの字を読める人は少なくなってしまった。
この字は「こもだる」と読む。
菰樽のはじまりは江戸時代にさかのぼる。
灘・伊丹の日本酒が江戸でたいへん好まれた。
江戸後期には江戸で飲まれる日本酒の八割は灘・伊丹のものといわれている。
日本酒は杉でできた樽に入れられていた。
当初、馬の背に乗せて運んでいたが、江戸時代に入ると船で運ぶことが多くなった。
馬に乗せて運べばそのままでもよかったが、
船で大量に運ぶ場合、荒波から樽を守る必要があった。
そこで杉樽を菰(こも)で巻いた菰樽が考えられた。
菰は今でいうプチプチと同じ役割である。
江戸時代の蔵元は、そのプチプチにデザインを始めた。
お酒の銘柄や印(しるし)が入られ、お酒の宣伝に使われたのだ。
そのデザインは優れた物が多くあり、今も残っている。
江戸時代のデザインが現役で残っているのも菰樽の魅力のひとつだ。
明治三十三年から
つくり続けている
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尼崎は、伊丹や灘といった酒どころに囲まれていた地域だ。
尼崎では、江戸時代から農家の冬場の仕事として、
菰樽に使われる菰縄(こもなわ)づくりが盛んに行われていた。
明治時代に入り農家が作った菰縄を買い集め、集めた菰にお酒の銘柄を刷り込み、
蔵元へ納めることを家業としてきた。
明治三十三年、岸本吉二は岸本吉二商店を創業。
それより百年余り。
当時と変わらず、今もコツコツと菰縄をつくり続けている。
現在、菰樽の菰縄を作っている会社は全国でもたったの3社しか残っていない。
その中でも私たちが一番の大手だ。
いつまでもつくり続けることこそが、
大切な日本文化を残すことなのだ。
本物のよさを
知ってもらいたい
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「晴れの日に使われるものだからこそ、心のこもったものを」
そう想うからこそ、職人による手づくりにこだわっている。
手づくりのよさは、人の温かさと職人の思いを感じるところにある。
菰樽の材料となる杉は、奈良吉野杉・京都北山杉で、樹齢八十年以上のものを使う。
菰に使う藁も、背の高いものを厳選する。
菰への印刷も、熱転写で行うことが主流ではあるが、
昔ながらの印刷手法の復刻にも力を入れている。
代々受け継がれてきたからこそ、感じることのできる本物のよさ。
是非、手にとっていただきたいと思うのだ。
絶滅危惧種
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日本は過去の成長とともに、たくさんのものを捨ててきた。
その中の一つに、循環システムがある。
日本人はあらゆるものを循環させながら使ってきた。
菰樽もその一つだ。
高度経済成長の頃から、日本では少しずつ田んぼが減りはじめた。
それは菰縄に使う藁(わら)がなくなってきたことを意味している。
日本で三百年続いた、菰縄を作る仕組みが壊れはじめたのだ。
“今まさに、藁がなくなろうとしている“
“昔ながらの循環システムがなくなりつつある“
なくなりつつある循環システム。
その一つである菰縄づくりを無理して残す意味があるのであろうか?
はっきり言って「絶滅危惧種」
岸本吉二商店が動物であれば、きっとそうであろう。
そして自分たちの仕事も、そう位置づけている。
しかし、絶滅危惧種でよいではないか。
絶滅危惧種だからこそ、残せる未来がある。
あきらめない
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昔ながらのつくり方を守ることは簡単なことではない。
菰樽に使う材料は、すでに入手困難なものも増えてきている。
機械も古いものを使うしかない。
メンテナンスも日々難しさを増すばかりだ。
一人前の荷師(にし)になるにも、最低でも数年はかかる。
しかし、それを続けるしかないのだ。
おかげさまで、菰樽づくりに誇りを持つ若いスタッフも増えてきた。
菰樽づくりをしたいと声をかけていただくことも少なくない。
藁の菰樽を今でも使いたいと言っていただけることもある。
とてもありがたいことだ。
そのような方がいらっしゃるかぎり、
この文化を残していこうと決めている。
「今我々が守らなければ 残らない未来がある」
だからあきらめない。