菰樽(こもだる)の歴史

酒樽を保護するために、
菰(こも)を巻き付けたのが始まりでした

江戸時代、上方(大坂や京都を始めとする畿内)から、江戸に酒を運搬していました。特に灘・伊丹・伏見の酒は下り酒として、評判が良かったそうです。

はじめは、二斗樽(36リットル樽)を馬の背に振り分けて陸路運送や、菱垣廻船にて他の商品と一緒に海上運送されていました。しかし、運送時間の短い酒荷運送専門の樽廻船の登場により、海上輸送が主流となります。この頃には、樽のサイズも大きくなり、四斗樽(72リットルサイズ)となりました。
樽が大きくなり困るのが、酒樽の破損です。破損を防ぐ目的で、酒樽に菰(こも)を巻き付けたのが、菰樽(菰冠樽:こもかぶりたる)の始まりといわれています。

現代に続く広告ツールとしてのこも樽

菰には、他の銘柄と区別するために、各銘柄の特徴をあらわしたデザインが描かれました。日本独特の色遣いやデザインは、メッセージ性の強い広告媒体として、店頭装飾に利用されました。

現代においても、菰樽は酒蔵や料理店での店頭に置かれ、銘柄をアピールするツールとして使われています。

新たな出発や区切りに際し、
健康や幸福などを祈願しその成就を願うもの

昔から日本酒は様々な神事を営む際に神酒として供えられ、祈願が済むと参列者でお酒を酌み交わし、祈願の成就を願うことが習慣となっています。

神酒が樽で供えられたときには樽の蓋を開いて酒をふるまいます。鏡餅を割って食べる『鏡開き』も、神事での酒樽の蓋を開く『鏡開き』も、ともに新たな出発や区切りに際し、健康や幸福などを祈願しその成就を願うものです。

このことから最近では結婚式披露宴・棟上げ式・新築家屋の完
成時・創立記念日などで、樽を威勢よくあける『鏡開き』を行うことが多くなりました。
特に結婚式披露宴で「和装には和の儀式で」という方が増え、多くのご利用者がいらっしゃいます。

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